東大阪の脳梗塞・関節症に強い訪問リハビリ・マッサージ

院長プロフィール

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1978年11月17日 
大阪 八尾生まれ   家族全員 B型
八尾→東京→埼玉→八尾→現東大阪在住

お陰様で
すずき訪問リハビリマッサージセンターを始めて
早いもので9年目に突入いたしました。

7年間、住吉区の鍼灸整骨院にて働き3年間副院長を
勤めたのち独立
整骨院勤務時から院長のはからいにより
午前診は他院へ修行に出させていただき
内科・東洋医学専門鍼灸院・他整骨院をまわり各療法を学ぶ
現在、訪問リハビリマッサージにて

「生涯自立で生を全うする」

をモットーにこれからきたるべき
超高齢化社会に向けて

自分自身で身体を理解し
自分自身で病気を予防して
自分自身で身体をトレーニングできるよう

本当の意味での自立した健康を手に入れていただくため
健康意識の普及につとめております。

力新堂治療院」にては完全予約制で
一般の方からアスリートまで施術やコアトレーニング
姿勢改善やO脚X脚改善など運動指導を行なっています


代表の生い立ち~治療家を志すまでを知りたい方は下の方へどうぞ





略歴


桃山学院高校・同大学経済学部卒

関西医療学園専門学校

東洋医療学科・柔道整復師学科卒

米国スポーツ医学研修修了

第5回柔道整復学会学術発表

第5回柔道整復学会学術表彰のひとコマ
2分30秒以降と誰もいない最後の閉会式にチラ映りです(笑)


資格・所属

鍼灸師 柔道整復師
あん摩マッサージ指圧師
大阪府鍼灸マッサージ師会会員
伝統鍼灸医学会会員
柔整ひかり会会員
バイタルリアクトセラピー協会会員
JCCAアドバンストトレーナー
30ストレッチインストラクター

あん摩.JPGじゅうせい.JPG はり.JPGきゅう.JPG M1030132.JPGのサムネイル画像M1030133.JPGのサムネイル画像

誕生から治療家を志すまで

誕生エピソード

「五体満足には産まれてこないよ」IMG (2).jpgのサムネイル画像

とお医者さんに自分が母のお腹にいるときに断言されたらしく両親は自分を産むか相当悩んだそうです。

父方は「堕ろした方がいいんじゃないか?」
母方は「母親のあんたに任せる」という感じだったそうです。

しかし、嘘かまことか母の夢にすでに亡くなっているお坊さんが出てきて
「産みなさい」といわれ母は自分を産むことを決意したそうです。


結果はというと 4500g 53cm の超健康優良児
お医者さんはぶったまげて謝罪
母は特別個室へ入れてもらえたそうです。

大きすぎて帝王切開となりお騒がせ致しましたが、お陰様で大きな病気をすることも無く現在も元気にこうして生きております。IMG.jpgのサムネイル画像

しかし、母が生むと決意してから誕生まではやはり母方にとっては相当大きなプレッシャーだったそうで・・・

当時、母親が入院中のため家で一人だった姉をつれて母方の祖母はお参りへよく出かけてたそうです。

そこで、3才の姉がふとしたつらそうな祖母の顔を見上げて「おばぁちゃんどうしたの?」とたずねたそうで、

祖母はその時に涙が溢れ出してきて その涙を姉に見せてはいけないと思い上を向いて涙をこらえたようです。

「上をむ~いて あ~るこぉ~ 涙がぁこぼれないよ~に♪」
坂本九ちゃんの 「上を向いて歩こうの歌詞の意味がもの凄くよくわかった!」祖母談
物心ついた時には延々と一連の話を祖母に聞かされ、計100回以上は聞いたのではないでしょうか(笑)

祖母はこの誕生エピソードの話を始めると30分~1時間は止まらず喋り
約10分過ぎで祖父が涙を拭いながら席を外すというのが常でして
いつも話を聞きながら
自分は「ひょっとしたら産まれてこなかったのかもしれなかったのか・・・」
「生まれてきたのには何か意味があるのかな?」

と小さいながらに生の意味を問うようになっていました。

幼稚園時代

東京 世田谷で過ごす
お風呂から東京タワーが見えた景色が懐かしい
当時はどこへ行くにもパーマンセットを着ていたらしい・・・
そして、卒業と共に
埼玉 所沢市へ引越し

小学校時代

埼玉 所沢といえば西武ライオンズの本拠地
当時は清原もいた黄金時代
近所のマンションに現ダイエーホークス秋山監督や
田淵幸一もいたり選手がそこらにいて
とても身近だったため
大阪ではかなり珍しいですが
やはり現在でも西武ファン
いつもお正月と夏には
飛行機にて大阪の祖父母のところへ帰省してたのですが
小学校2年の夏
たまたま満席でとれなかった飛行機が
日航機墜落事故の飛行機でした
なんの因果か祖母が語っていた
坂本九ちゃんがこの事故で亡くなってしまいました。
これまた
「何故自分は生きているのか」
「何かに生かされているのか」
「何か使命でもあるのか」と問うようになっていました。
そして時は平成へとうつり
小5の夏に父親の転勤で大阪へ
大阪にきて始めて「いんじゃんでっほい」(じゃんけん別名)を知る
関東弁なため当初は気持ち悪がられましたが
すぐに関西弁にも馴染み中学へ

中学校

小学校時代からずっと背は低くいつも整列は一番前
このままチビなのか?と思っていたら
1年間に10cm以上伸び始め
一気に平均身長まで伸びたのがこの時期
不良にいじめられる事もなく
いたって平凡な帰宅部(笑)
とある進学塾○学園に通っていたましたが
一緒によくサボっていた子は一番上のクラスから落ちず
自分はどう頑張っても上から3番目のクラスが最高
そして一緒にサボった彼は灘高へ行き
この時IQというものの存在を思い知らされました。
自分は普通の私学へ・・・

何かが変わり出した高校時代

男なら誰しも一度は思うこと
強くなりたい と
クラブ探しの日に
高校では柔道部と決めていたのだが
道場へいったのですが
誰もおらず
さて、どうするかな?
とふらつきながら
音楽系でも覗いてみるかと思い
吹奏楽部へ行くと
ふと楽器を手渡され
そのまま3年間ホルン吹き

治療家への転機となった大学時代

なぜか一撃必殺を求めて
入学前から空手道場へ通う日々
合わせて大学ではウェイトリフティング部
そんな大学1年生の秋の日
転機となる事件は起こりました
いつものように100kgのバーベルを担いでスクワット
そのバーべルを落とし腰にガクンとした衝撃が
その晩から妙な腰痛が出だし始め
段々と痛みは増し
歩いても寝ても覚めても痛む電撃痛が
左の腰からお尻 そして足先へと走るようになっていました

当時はおかしいなぁ と思いながらも
筋肉でも傷めたのかな?程度に考え
無理して道場で練習したところ
翌日から左足が痺れて動けなくなり
のたうち回る程の激痛が
日にちをおけば良くなるかなと思い
休んでみるも全く良くならず
さすがにこれはおかしいと思い病院へ

結果は
腰椎椎間板ヘルニア

当時はまったくいかなるものかわかりませんでした
とりあえず先生に
「治るんですか?」と聞くと
先生は「う~ん」と
治るとも治らないとも歯切れのわるい答え
とりあえず三種の神器であるシップを渡され
貼ってみるも変化なし
練習をすれば翌日動けなくなり休むを繰り返す日々
いよいよ本格的に練習すれば
足は痺れて動けなくなり
再度病院へ行くも「ヘルニア?」みたいに言われ
結局、原因がなんなのかわからないまま
整体やら整骨院へ通う日々
ただし、全くもって緩解せず
誰も治るのか治らないのか
原因はなんなのか?
という事に対して
明確な答えをしてくれる先生はいませんでした


続き執筆中



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